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<北条政子は夫婦別姓?>

 巷では「鎌倉殿」がブームらしい。(2022年8月時点。)
鎌倉殿とは、鎌倉幕府の将軍で国史上初の征夷大将軍・源頼朝であることは、皆さんも重々承知のことだろう。

*頼朝の母は、熱田神宮大宮司・藤原季範(スエノリ)の三女、由良(ユラ)御前である。(当時、大宮司家は尾張氏から藤原南家に代わっていた。)つまり、頼朝は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に先駆ける愛知県出身の天下人と言えるのだが、なかなかこれが話題になることは少ない。

 源氏の鎌倉幕府はたったの三代(頼朝、頼家、実朝)で終わってしまい、その後は執権だった北条氏が実権を握った。しかし、頼朝、頼家、実朝が亡くなった後、京から招いた幼い藤原頼経(ヨリツネ)の後見となって実際の幕府の実権を最初に握ったのは、尼将軍と称された頼朝の正妻、北条政子である。ならば、実質的に頼朝の時代から政子がかなりの権力を振るっていたと考えることもできる。
 その北条政子だが、「源政子」とは学校で習っていない。何故、正妻なのに「源政子」にはならずに「北条政子」のままなのか?生徒は誰もそんな質問はしなかったし、先生も何の疑問も無く当たり前のようにそう教えてきた。(今でも、そうだろう。)

 実は、このことは家制度や氏族、氏姓制度の問題で、日本の家族制度のルーツに関わることであり、天皇家にも大いに関わることである。そして、夫婦別姓という問題は、現代に於いても実は大変大きな問題をはらんでいるのである。
 それでは、北条政子を通じてこれらについて考察しよう。

本編pdfはこちら↓
北条政子は夫婦別姓?

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管理人コメント

「生まれた時からそうだから、当たり前すぎて、なぜそうなのか、は知らない」もののひとつ、名前。

管理人も、ぼんやりとしか知らないことだらけだった・・・
これは名前をもっているすべての日本人は?知っておいた方が良い話だ。

北条政子はなぜ「源」ではないのか、という”現代的な常識からの疑問”を入り口とし、
大抵の日本人が ぼんやり/なんとなく しか知らなかったことが紐解かれている。

日本の氏姓制度は何がルーツ?
天皇にはなぜ氏姓がない?
平氏と平家の違いは?

そして、そこを紐解いていった先に、
昨今国会で議論されている夫婦別姓問題の本質と、その未来に炙り出されてくる「国際共産主義化」。

夫婦別姓にするかどうかの選択は個々人の自由であってよいと管理人は思う。
というより、極論、名前など好きなように変えればよいと思う。
ミドルネームがいくつも並ぶ国もあれば、
「おまえは今日からさまようオオカミだ」と言われるような先住民族もいるわけで。

しかし、このレポートにあるように、それによって便利になること、薄らいでしまうこと、気づかぬうちに消え去ってしまう「繋がり」、などをしっかりと理解したうえで、選択すべきだと思う。



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