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<大嘗祭(だいじょうさい)-改訂版->

 2016年6月24日に<大嘗祭>を公開した。以後、様々な情報や他記事の考察から、修正や追記が必要となったので、以前の記事に上書きしようかとも思われたが、本年令和元年10月には今上陛下の即位式、11月には大嘗祭が斎行されることから、新たに「改訂版」として記事を起こすこととした。

・修正情報:八平手の拍手について。
・追加情報:大嘗宮正殿内部図、即位式概要、卯の日の意味。
・大嘗祭の本質再解釈。特に粟(あわ)が秘儀とされる点に着目して。

 なお、ここに記載されている儀式内容は、核心部分は現代も継承されてはいるものの、すべてがそのまま斎行されているわけではないことに注意頂きたい。例えば、かつて大嘗宮造殿は大嘗祭の祭日3日前までに5日間で竣工されていたが、今回は7月26日に造営工事が着手され、大嘗宮の材質や斎場の大きさも、時代によって変化している。

 また、当ブログに初めてお越し頂いた方に向けて、カバラやシュメール、スミルノフ物理学といった、当ブログ特有の内容をカットした「初心者用」も用意させて頂いた。「初心者用」とは言っても、かなり詳細な神道の内容なので、普段接することが無い独自の用語や難しい読みの言葉が頻繁に登場するが、そういうものなのか、という程度で流して読んで頂ければ良い。なお、どうしても陰陽道(おんみょうどう)的考察は不可欠であり、且つ、我が国の歴史の真相に深く関わっているのが伊勢の外宮・内宮の両方の元伊勢である籠(この)神社であるため、陰陽道的な話や籠神社の秘伝などが唐突に記されているが、難解な用語共々、ご容赦願いたい。(外宮・内宮の両方の元伊勢とされるのは、唯一、籠神社のみである。)

 今回の改訂を通じて言えることは、大嘗祭は天皇一世一代の最も重要な神事であり、故に、そこには神祭りの深い真意が隠されていた、ということである。
 この記事が、皇室そして日本という国を理解することに対して、少しでも役立つことができれば幸いである。

↓無料ダウンロード↓
『大嘗祭』-改訂版

『大嘗祭』-初心者用


---管理人コメント----
日本を国として世界一長く存在させてきた「天皇システム」。
個々の時代を一本の歴史として繋ぎとめてきた、最重要祭祀「大嘗祭」。
このドキュメントは、すべての日本人の魂に届いてほしい。

「粟こそが大嘗祭の秘儀」というこの研究結果から受けとったのは、「天皇と民で家族=国」ということだった。

現在、大嘗祭を前に、徳島県木屋平で作られ調進される「麁服」に注目が集まっている。
伊勢神宮垣内に敷き詰められた「お白石」も、徳島県吉野川流域で採取され、伊勢に運ばれる。いったい何故?
今回の改訂版では、「阿波の再考」も最高である。
以下、ドキュメント本編から抜粋する。

※下記リンクにある上一宮大粟神社のyoutube動画は、徳島県出身のオキタリュウイチ氏撮影。

~本編より抜粋~
(5)米と粟=阿波の再考
“粟こそが大嘗祭の秘儀”としたが、ここまで考察を基に、天照大神と豊受大神の観点で米と粟=阿波を再考する。
粟は米に先立つ穀物で、縄文時代から食されていた。だから、粟(と麻=麁服)は儀式が先立って斎行される悠紀に、米(と絹=繪服)は主基に相当する。
また、粟=アワ=阿波の忌部氏である三木氏は麁服に神降ろしするが、その神は前述の如くウシトラノコンジン=豊受大神である。ならば、粟は豊受大神、米は天照大神に相当すると言える。
そして繰り返しになるが、悠紀殿での儀が主基殿に先立って斎行されることは、豊受大神を祀る外宮の儀が天照大神を祀る内宮に先立って行われる外宮先祭と同義である。
従って、粟=悠紀殿=外宮=豊受大神、米=主基殿=内宮=天照大神という図式が成立し得る。
更に、作物的な観点からすると、粟は米が育たないような寒冷地や高地、高緯度地域でも栽培可能である。これを陰陽に当てはめれば、米は陽、粟は陰の穀物と言える。

そして、豊受大神の本質は天御中主神のエネルギー、天照大神の本質はそこから発せられる光のエネルギーだが、このエネルギーは比誘電率と比透磁率が1より小さい負のエネルギーなので、実質的にそこから発せられる光もまた負のエネルギーの光なので、エネルギーとしては陰である。故に、豊受大神も天照大神も陰である女神となる。
しかしながら、光は太陽の光の如く陰陽道的には陽としての扱いであり、天照大神は太陽神的でもあるので陽となり、豊受大神との陰陽の合一で天御中主神を形成するわけである。
故に、米=陽=天照大神、粟=陰=豊受大神と言える。つまり、粟と米の両方を聞し食されることにより、陰陽の合一によって天御中主神の霊威を頂くことになる。

なお、降臨する神として、一般的には前述の天照大神以外ではタカミムスビノカミが挙げられることがある。天御中主神、カミムスビノカミと共に造化三神を形成するが、タカミムスビノカミの娘(ヨロズハタトヨアキツシヒメ)は天孫ニニギの母であり、タカミムスビノカミは天照大神よりも優位に立って天孫降臨を司令した。
また、即位前の神武が熊野から大和に侵攻する場面で神武を助けたタカクラジの夢に登場して手助けしたりしており、常に天照大神(とその子孫)を裏から支えるような役割で、実質、高天原はタカミムスビノカミと天照大神によって統治されていたとも言える存在である。そうすると、タカミムスビノカミは創造神的な造化三神の一柱で、高天原を神々の世界としての創造神の世界と見るならば、タカミムスビノカミは豊受大神に相当する。

では今一度、悠紀殿と主基殿の両殿で同じ儀式が斎行されることについて考察する。
悠紀殿、主基殿では共に粟と米が供えられ、両殿は同じ儀式が斎行されるが、悠紀殿の儀式は午後9 時から11 時頃に、主基殿の儀式は午前3 時から5 時頃に斎行されるという点のみが異なる。
大嘗祭では神が神座に降臨し、天皇御親ら神饌を奉っておもてなしされるが、悠紀殿、主基殿いずれも天皇がおもてなしする神は天照大神とされてきた。
ならば、悠紀殿で天皇が神をおもてなしした後、神は寝座で床に就かれ、そして高天原へお戻りになるはず、である。しかし、その後は主基殿にも降臨し、同じことが繰り返されるということはおかしい。
そこで、外宮に相当する悠紀殿の儀式は深夜だから陰、内宮に相当する主基殿の儀式は夜明け近いから陽ということ、及び外宮先祭ということからすると、まず悠紀殿に降臨されるのは天御中主神の根源エネルギーである女神・豊受大神で、豊受大神は豊穣神で食も司るから、新穀の米と粟、特に陰のエネルギーの象徴である粟を通じて天皇は深夜に陰のエネルギーである豊受大神の霊威を頂く。
その後、暁の頃になると主基殿に天照大神が降臨し、天皇は特に陽のエネルギーの象徴である米を通じて陽のエネルギーである天照大神の霊威を頂く。

これにより、豊受大神の霊威と天照大神の霊威の陰陽の合一が完成し、天御中主神の霊威を頂いたことになる。そして、すべての儀式が終わる頃、朝日が昇り、日嗣の皇子としての天皇が完成するわけである。
つまり、大嘗祭で粟が秘儀とされるのは、陰(いん)の新穀である粟の陰(かげ)に根源的エネルギーである陰(いん)のエネルギー、豊受大神が隠されていたからに他ならない。そして、御座と神座が神宮の方角に向けられ、時間差をつけて悠紀殿と主基殿の両殿で同じ儀式を斎行するのは、皇祖神たる天照大神のみならず、豊受大神も天皇御親らおもてなしして霊威を頂くからである。
また、悠紀殿と主基殿の両殿に新穀としての粟と米、神服としての麁服と繪服をそれぞれお供えするのは、単にそれぞれが豊受大神、天照大神を暗示しているだけではなく、粟と米、麁服と繪服のそれぞれの両者が合わさって天御中主神を暗示しているからである。

すなわち、大嘗祭は天皇が御親ら神祭りし、新穀を通じて豊受大神と天照大神の霊威を頂き、両者陰陽の合一で天御中主神の霊威を頂くことになって“天皇の永遠、天皇の弥栄”を願う儀式に他ならない。
以上、即位式は、新帝が天御中主神を祀る祭主かつ地上に於ける代理人であることを内外に知らしめる儀式であり、大嘗祭は、新穀を通じて天御中主神の霊威を頂き、“天皇の永遠、天皇の弥栄”を願う儀式である。
かつて、神社は東西方向(本殿は東向き)を向いていた。それが新制神宮創祀以来、主に南北方向(本殿は南向き)に変えられた。そうすると、参拝者は北を向くこととなるが、それは北極星=天御中主神を拝しているに他ならない。

また、粟に関わる阿波に関しては、<空海>にも記されているように、オオゲツヒメに関係がある。以下、その部分を振り返る。
古事記に依れば、オオゲツヒメはスサノオに斬り殺され、体の各部位から蚕や穀物が芽生えたとされ、アワ(阿波、粟)の国の名前として記載されている。
つまり、オオゲツヒメは豊穣の女神であり、豊受大神と同義で、そのオオゲツヒメが祀られるのは上一宮大粟神社(徳島県名西郡神山町)、一宮神社(徳島県徳島市)、阿波井神社(徳島県鳴門市)で、いずれも徳島=アワの国のみである。
これが、日本書紀ではツキヨミがオオゲツヒメと同義のウケモチノカミを殺したことになっている。ウケモチノカミ=保食神だから、オオゲツヒメ=ウケモチノカミ=豊穣の女神=豊受大神である。中でも、上一宮大粟神社はかつて阿波一之宮という格式であり、伝承に依れば、衣食の神の総本宮であり、イザナギ、イザナミ両神よりも古い神で月神であり、永遠不滅ということからしても、やはり豊受大神と同義である。

(この神社伝承部分は以下参照。

【神山】上一宮大粟神社② 阿部宮司による御祭神(オオゲツヒメ)説明
https://www.youtube.com/watch?v=kES5FciT_cM&feature=youtu.be

【神山】上一宮大粟神社③ 阿部宮司による御祭神(オオゲツヒメ)説明その2
https://www.youtube.com/watch?v=fH38SKHBSDo&feature=youtu.be

むしろ、歴史の流れを考えると、
海部氏一団が沖縄・奄美を経て霧島~宇佐に渡来して縄文王家の入り婿となり、その後、四国の太平洋岸及び瀬戸内に分かれて近畿に向かい、途中、忌部氏の一部が阿波に留まり、祭祀の基礎を整えつつ、海部氏が丹後へ達して中央の縄文王家に入り婿し正式な弥生大王家となり、南下して邪馬台国を築くと、阿波忌部氏が呼び寄せられて新たな祭祀が始まり、それを暗示させるために、阿波と紀伊半島の地名を同じとしたことからすれば、豊受大神祭祀の根源も阿波と言えるだろう。それを裏付けるかの如く、上一宮大粟神社の拝殿近くには「天の眞名井」がある。
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