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梅雨も明け、35度を超える酷暑、皆さん元気にとろけてますか。

こんなときは祭りですな。ワッショォォーーーーイ!!
今年は、天皇が譲位(じょうい)されたので、数十年に一度しかない「大嘗祭」がある。

さてさて。
ところで「マツリ」ってなんなのさ?
神輿(みこし)、花火、綿あめ、おはやし、などは思い浮かぶが、
「ジャペンの「マツーリ」ってナンデースカ?」と外国人に聞かれたら、なんて答えるだろうか?
「ジャパニーズ、フェスティバル」←これでいいのか!

祭り。「神祭り」のこと。
祀り。神霊を慰める、安置する。
奉り。神(上位の人)に献上する。
政治も、「マツリゴト」という・・


これら、音はみな「マツリ」で、意味的にはどれも、庶民の日常生活とはちがう、どちらかと言えば上位にあたる敬意をもって扱ったほうがよさそうな次元における営み、といった響きに聞こえる点で共通している。

まず、いわゆる「祭り」からさぐってみよう。

祭りとは、そもそも「神祭り」が元となっている。
神社で神様をお祭りする神事(カミゴト、シンジ)のなので、神事のことは「お祭り」って言う。
本来神事は、神社の宮司さんや、その元締めである天皇陛下が、毎日のように執り行っている。
それがいつからか神社の重要な神事の日だけが「お祭りの日」となって、地域の人々が総出でするようになった。

まず、古来のシャーマン的ポジションの「宮司」さんが、その時期にあった祝詞(のりと)をあげ、五穀豊穣などをおごそかに祈念(きねん)する。つまり、お祈りだね。
かみさまー。起きてー。マツリおっぱじめるよー!のファンファーレのようなものか。
神社で柏手(かしわで)をうつのも、「神様、来たよ~!」のサインで、同じ意味がある。

そしていよいよ神輿が登場。
お神輿には神様に乗っていただく。これは結構世界で共通していて、何かしらの高座に神様がいるテイにして、それを担いで皆で歩いたりする。
※だからお神輿には、庶民がカッコつけたりして乗ってはいけない。
omikoshi_yokohama01.jpg
(出典:Webサイト「歴史の浪漫街道」)

神輿かついで町内を練り歩くのは、神様に対して「安心してください!ごらんのように、皆、神様(自然)に感謝して元気に仲良く楽しくやってますよ!」ということを見せるための、神様の視察行脚(あんぎゃ)だ。
神様はテンションアゲアゲなスパークピーポーが楽しんでるのを見るのが好き。

神様:みんなーっ!ノッてるかぁーいっ?!
皆の衆:乗ってるのはあんただろー!ウェーーーイッ!!

この神も民もみんな一緒にノリノリ状態がいわゆる「弥栄(いやさか)」状態。
だから祭りでヒートアップしてケンカしたりなんて絶対にダメ。神様はそういうの大嫌い。
(ケンカなんかしたら、天罰くだるかも!?)

この日ばかりは、日ごろ仲悪かろうが敵対していようが、今、この瞬間の祭りを全力で皆で楽しむ。過去のわだかまりも未来の不安も、今この瞬間を真剣に生きることにはなんの影響を及ぼすことはないのだ。
これがいわゆる「中今(なかいま)」の考え方だ。

そのあと、お神輿は神社に戻って、みんなで楽しく食べ、飲む。
これは、神様と一緒に飲んで食べて楽しむ直会(なおらい)と言う。
神社で御祈祷(ごきとう)してもらったあとに御神酒(おみき)やスルメを頂くのは、それを簡略化したもの。
そして、満足した神様に本殿にお戻りいただく。
これが「お祭り」の神髄。

もう少し詳しく言うと、
神社にはいろいろな神事があって、小祭(しょうさい)、中祭(ちゅうさい)、大祭(たいさい)と大きく分かれる。
最も重要なのが大祭で、その神社の例祭(れいさい)や遷座祭(せんざさい)などだ。
規模はそれぞれ違うけど、やっていることはほぼ同じ。
まず神様に食べ物を捧げるが、この食べ物を神饌(しんせん)と言う。そして、宮司さんが祝詞を奏上し、撤饌(てっせん=神饌を下げる)して終わり。大きなお祭りのときは、これにプラス、お神輿などが出る。

農耕文明になってからの田植えや収穫、あとは季節の節目に設定されていることが多いが、
それにしても神道は祭り好き!
大祭に向けたプレ祭り、プレプレ祭りみたいなものがたくさんある。
京都・祇園祭の前日夜の宵山(よいやま)、前々日夜の宵々山(よいよいやま)、なんてのがいい例。

これは(推測だが)「庶民の生活にリズム感をもたせる」機能として設定されたのではないかと思う。

リズム=「ケ」と「ハレ」のバランス。
「ケ」と「ハレ」について昨今あちこちで聞くようになってきた。
「ケ」は日常。「ハレ」は祭りの日。

単調な日常も、「目標」である「ハレの日」に向けて頑張って過ごし、「ハレ」の日にすべてのパワーを注ぎ込む。
民衆のうっぷんのガス抜き、といった見方もあるようだが、それだけとは思えない。
「ケ」が枯れることを「気枯れ(ケガレ)」という。ケガレないように、タイミングよく「ハレ」の日が置かれている。
音楽でも、AメロBメロが続き、サビが来てぐっと盛り上がる。サビだらけだったらダメなわけだ。
ずっとサビのごとき声量で熱唱する人のカラオケは、聞いてて疲れるわけで。
たまに来るハレの日のマツリにワクワクすることによって、日常も幾久しく輝くのだ。

大昔はそんなハレの日に、鹿の角や亀の甲羅の割れ方、相撲などをして「神様のお告げ」を受けて政治をしていたから、政治の「政」は「まつりごと」という。
さて。いまの政治はどうだろうか?森羅万象を口にする政治家は実はたくさんいる。大宇宙、大自然の声が聞こえているのだろうか?

ケガレの話をもっと深めてみよう。
お神輿は最近女性も担いでいるが、基本的にはダメだった。
男尊女卑といった概念が生まれるはるか昔から、いわゆる「血の穢れ(けがれ)」としてダメだった。
「穢れ」=気枯れ=ケガレ。汚い、ではない。
神道では「血の穢れ」と「死の穢れ」を最も嫌う。
死は最も気が枯れた状態で、出血すると元気が無くなるし、場合によっては死んでしまうから。

たとえば伊勢神宮では20年毎にお社を遷(うつ)す遷宮(せんぐう)があるが、これは「常若(とこわか)」と言って、神様が常に若々しくあることで、神様のパワーがあちこちに満ち溢れる、という意味がある。
いわゆる「パワースポット」であり続けるためにも、神様の気が枯れてはいけない。
神様の気が枯れることは、日本や、その土地の気が枯れることにも直結すると考えられていた。
神道では「穢れ」を避けるためにお祓(はら)いしたりする。白い紙や布みたいなもの(本来は麻)が付いた木(おおぬさ=大麻と言う)を神主さんが左右に振っている、あれがお祓い。

祓いたまひ、清めたまへ、守りたまひ、幸(さき)わえたまへ。祓って清めてハッピーハッピーが基本。

よって、「血の穢れ」ということで、毎月出血する女性は、お神輿を担いだり、その期間は神社の神事にも参加できない。
この期間、女性は肉体的にも精神的にも不安定になるので、それをいたわる意味もある。
子供が生まれてから最初のお宮参りでは、母親は子供を抱けず、代わりに父親の母親(子供の父方のお祖母さん)が抱くのも、出産の血の穢れが理由なわけだ。

修験道などで女性山伏がNGだったのも似ているのだが、
なるほどと思う話に、女性はそもそも自然の、月のサイクルとともにあり、自然(ジネン)を取り戻すことができる、
男性はそうではないから、山(参道=産道)に入りお宮(子宮)等で滝行などをして「生まれ変わって」、「自然(ジネン)」ないしは「野性(ヤセイ)」を取り戻す必要があったのではないか、などと解釈している現代の先達もいる。
これは目からうろこだ。

さて、ちょっと先にも触れたが、全国でコンビニの数よりも多い神社の宮司さんたちのトップは「天皇陛下」である。

ちなみに伊勢神宮の神宮祭主の黒田清子さんは、上皇陛下の長女である。そのまえは上皇陛下の姉の池田厚子さん。
朝起きてから寝るまでご神事だらけ、国民と世界のために常日頃から神様をお祭りして祈られている。
※天皇陛下のお務めは「皇室の祭祀と生きて」(河出文庫 元内掌典(ないしょうてん)、故高谷朝子著)がとても詳しい。お勧め。天皇制反対!リッチでズルい!なんて考えのひとびとにもお勧め。イノキにビンタをくらうほど目が覚めるだろう。

宮中でも全国の神社と同じようにたくさんの神事=お祭りがあって、その中でも重要な日を、昔は「祭日」と言って、日本全国お休みだった。
それが戦後、日本人を骨抜きにするためのGHQの策略で「ただの休日」とされ、日本人は本来の「祭日」の意味が分からなくなった。「祝祭日」なんていうが、みんなゴッチャで単なる「お休みの日」なのだ!


そのお祭りの中でも、掌典(しょうてん)や内掌典の人たちが代理でできない、天皇陛下しかできないお祭りがある。
元日の日の出前に行われる四方拝(しほうはい:四方の神々と伊勢の神宮に国家の平安を祈るお祭り)、
11月の新嘗祭(にいなめさい:その年の収穫に感謝するお祭り)などだ。
新たな天皇陛下が即位する「大嘗祭」は、新元号の最初の新嘗祭なのだ。
※ちなみに「新嘗祭」も天皇行事を切り離すGHQ占領政策により「勤労感謝の日」になってしまった。

女性天皇だと、これらのお祭りの日に前述の「血の穢れの日」が重なるとお祭りができないので、歴史上、女性天皇はできる限り避けられてきたわけだ。(いなかったわけではないが、どの時代の女性天皇を見ても、「つなぎ」的役目だったことがうかがえる。)

以上、まとめるとこうだ。
・お祭りとは神祭りのこと
・その大元は皇室にある
・神職のトップが天皇陛下で祈りの存在
・昔は神様のお告げを受けて政治をしていたから、政治の「政」は「まつりごと」

余談:
お神輿がユダヤ由来で、ユダヤの三種の神器の1つの「契約の箱」だという説や、「ワッショイ!」という言葉が「神が来られた!」というヘブライ語だという説もある。また、「血の穢れ」の考えがあるのは、日本とユダヤだけだとも。ユダヤの失われた支族は日本人かも??
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