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ある時期以後、日本の真相やユダヤとの関係になると、必ず話題に上るようになってしまった籠神社
かつては奥宮の石碑に六芒星が刻まれ、それが雑誌等に掲載されてしまったことがきっかけなのだが、当ブログのプロデューサーや筆者らもまた、それに引き寄せられた好事家の一人である。

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奇遇なことに、筆者らは第82代宮司から直接お話を伺うというご縁に恵まれたわけだが、そこには雑誌等では伺い知れない、極めて深い事実が隠されていた。言うなれば、雑誌等で言われていたことはほんの入り口に過ぎず、その扉を開けると、そこには広大無辺の大海原が広がっていたのである。

“極めて深い事実”とは言うものの、直接言及されるわけではなく、ヒントとなるようなことをおっしゃるのみで、あとは自分で考えよ、というスタンスなので、真相を追求したいのであれば、無謀にもその大海原に飛び込まざるを得なかったのである。そのためには、巷に溢れているような先入観は一旦捨て去り、虚心坦懐に研究・考察する必要性に迫られた。ある時は高性能の船が波をかき分けるが如く進み、またある時は大波に飲み込まれ、沈み、もがきつつも、何とかここまで辿り着けた状態である。

 その内容については既存の記事の各所に散りばめられているが、改めて参照したい場合、どの記事なのかを探すのは大変な手間である。そこで今回、平成の御代替わりの直後(2019年5月)に籠神社御鎮座1300年祭が執り行われることもあり、まとめとしての記事を作成するに相成った次第である。
 まとめなので大部分は既存の記事と重複するものの、新たに追記した内容もある。また、これまでのすべての記載内容を書き連ねると膨大な量になってしまうので、重要な点に絞ってそれを骨子とし、そこに肉付けした形としている。

 特に奥宮・眞名井神社が暗示する眞名井の宇宙観・世界観は、異端ながらも最新の物理学と相通じるものがあり、宇宙の構造が四次元のクラインの壺(メビウスの帯構造)であって、それが逸話としては瓢箪(ひょうたん)として喩えられていることは、一旦は分離してしまった“科学と宗教の融合”とも言うべきものだろう。
その眞名井神社は江戸時代の天保3年(1832年)に造替されたもので、所々の修繕を繰り返してきたが、約180年もの歳月を重ねた社殿の損傷は著しく、看過できない状態となっていた。それが、突如として解体・修繕できる運びとなり、2018年10月に解体・修繕後の正遷座祭が奇跡的に斎行されたのである。これもまた、何らかの徴であろう。

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 籠神社は元伊勢と称され、すべての神社の本宗と仰がれる伊勢神宮の元宮の1つとされるが、外宮及び内宮両宮の唯一の元宮(=本宮)とされるのは籠神社のみである。それは、祀られる神々や籠神社の祖先が培ってきた歴史の真相に深い関係があるからに他ならない。それ故に、現在まで大切に護られてきたのである。
 本記事ではそれらについても言及し、統括的にまとめられている。本記事が多くの方々の気づきとなり、宇宙的な使命としての意識覚醒に役立てれば幸いである。

本編pdfはこちらをクリック↓
籠神社と眞名井神社


--- 当ブログプロデューサー(管理人)補足 ---

※このブログに始めて訪れて頂いた方のために、(上記pdf書き出し部分の再掲)記事の繋がりを解説します。
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これまでに幾度となく、籠神社と眞名井神社が登場した。それほど重要だということだが、当ブログ
<スミルノフ物理学> 投稿や
<瀬織津姫と菊理姫-シリウス系と太陽系> 投稿によって、宇宙の真理まで体現していることが判った。
そこで、籠神社と眞名井神社について、改めてまとめることとする。大部分は既存の記事と重複するが、2017 年に第82 代宮司が総まとめとしての著書を出版されたので、その内容など、新たに追記する。
なお、第82 代宮司との生々しい対談内容などについては、
<宇宙維新-黄金の夜明け背景資料(後編)> に示されている各記事を参照願いたい。
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最も伝えたい「眞名井」の真意にみる、我々人類の「あり方」の部分を、ブログ上にも抜粋します。

大本をたどれば、起源意識(神・創造主)から生まれた「人間」という生命体。
元が起源意識であるから、創造主の子であり、分け御霊、分身であります。
われわれは、神の一部なはず。ではなぜ?エゴに振り回されるようになったのでしょうか。

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生命体が物質を認識したり、自らと他を区別するためには、名が必要となった。(人=ヒト=霊人としての自己の誕生。)
それは単に、識別のためだけのものだった。しかし、人類型の生命体が誕生してから、「あなたとわたし」という単なる識別に、「あなたの物と私の物」という所有の概念=我(が)が芽生え、それがいつしか膨らんで「アレが欲しい、コレが欲しい」という欲望が
発生した。これがエゴ=自我である。
エゴがエゴを呼び、その所有欲は他者から奪う行為を発生させ、そこから憎しみが生まれて戦争が起こり、遂には、自らが起源意識の分身(=己、已、巳)であることを忘れてしまった。これはとりわけ、太陽系最外の惑星でシリウス系の惑星ニビルの住人アヌンナキが、ニビルの大気を修復するための金を採掘するために地球に降臨し、アフリカに居た猿人の遺伝子を操作して彼らに代わる採掘労働者としての人類を誕生させ、人類に対して“神”として振る舞い、人類が神を自らの外に求めることによって促進された。それにより、人類はエゴを膨張させてしまったのである。
換言すれば、人類はエゴという鎧でガチガチに固められてしまったことに因り、本来の性質(本質)が解らなくなってしまったのである。だから今に至るまで、人類型生命体の歴史は、その繰り返しである。その原因は、“名”に所有欲=エゴが付随したことに尽きる。このような宇宙の状態を表したのが“眞名井”に他ならず、名の真相は宇宙の真理そのものである。
アヌンナキは猿人を遺伝子操作して人類を創り上げ、自らを人類に対する“神”として振る舞うことにより、いつの間にか人類に大きなくびき(カルマ)を負わせたが、むしろ、エゴを解消するという全宇宙的な宿命により、地球と人類を学びの場とさせられた、とでも言うべきか?だから、地球=知球=知宮と命名されている。他の言語では、決してこの真理は解らない。
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なお、これまでの記事にない情報として、
『元伊勢籠神社の略誌と神道哲学(海部光彦著、元伊勢籠神社、2017 年8 月8日)』
について、後半6ページにわたり解説されていますので、ぜひご覧下さい。

どれも興味深いものばかりですが、その中で管理人はここに心が奪われました。

『「もったいない」と同じような言葉に「おかげさま」がありますが、両語共に主語はなく、うるわしい大自然の幸に恵まれた日本人が、天地萬物への感謝をさりげなく表した謙譲語です。』

確かに!主語が無いことが重要であるということを、思い出させてくれるコトバが、生活の中にちりばめられているのですね。
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