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2014.12.11

冬至

 今年の冬至は朔旦冬至(さくたんとうじ)と言って、特別な冬至である。
朔旦冬至とは、陰暦11月朔日(1日、新月)が冬至に当たること。この日は非常に縁起が良いとされ、朝廷では宴を催して公卿たちから賀表が奉られ、また、恩赦が行われ、田租を免じ、叙位を行うこともあった。

 古代には、冬至を1年の始まりとしていた。
支那で冬至を1年の始まりとしたことが起源である。太陰太陽暦では新月から次の新月の日の前日までを1ヶ月とするので、新月の瞬間を求めると、自動的に“月”の区切りができるものの、できた“月”が何月になるのかは、最初から決まっているわけではない。
また、太陽暦に合わせようとすると、1年が12ヶ月の年もあれば、13ヶ月の年も出てくる。そして、どの年が12ヶ月で、どの年が13ヶ月になるのかは、単純に周期で決まっているわけではなく、ある月の中に二十四節気の中のどの中気(ちゅうき)が含まれるかで決まる。雨水が含まれれば1月となり、春分が含まれれば2月となり、冬至が含まれる月は11月となる。

・中気:
雨水→春分→穀雨→小満→夏至→大暑→処暑→秋分→霜降→小雪→冬至→大寒。

・節気:
立春→啓蟄→清明→立夏→芒種→小暑→立秋→白露→寒露→立冬→大雪→小寒。

 このように割り振ると、中気を含まない月が現れ、その月を閏月とした。
また、稀にひと月の中に中気が2回存在する月が現れてしまうことも発生する。このような場合、前後の月の並びを見ないと月名が決められなくなるので、“冬至を含む月を11月とする”ことで、暦の起点としたのである。
冬至が起点とされたのは、北半球に於いて、太陽の南中高度が最も低くなり=日時計の影の長さが最も長くなり(当時、時間は主に日時計で知る)、その日を境に太陽の威力が復活すると考えられたからである。

 しかし、冬至は太陽暦で見ると、毎年決まった日ではない。
そこで、11月朔日を起点として暦を計算し、再び11月朔日が冬至となるような年が現れると、その年は暦の本来あるべき姿に戻ったことになる。
 古代支那の思想では、天帝から権力を授かった天子は、国だけではなく天空の星々まで支配する存在と考えられていたので、星々の運行で決まる“時間”や“政治”もまた天子が支配するものであり、それ故に天子は暦を司り、人々に授ける聖なる王と考えられていた。
だからこそ、朔旦冬至が決まった年に現れることは、暦が正確であることの証明であり、その天子が時を支配している聖なる王の証となり、政治が正しく行われていることの証となるが故に、縁起が良いのである。

 支那の暦では、19年を“章”と言う。
古代支那の太陰太陽暦は、この章の期間に7回の閏月が入るという仕組みであり、これを「章法の暦」と呼んだ。
章法の暦では、起点となる年を朔旦冬至の年に設定し、19年の章を繰り返す。この章の始めの年を章首と言い、19年7ヶ月に1度、冬至の日が11月朔日となる。日本に暦が伝わった時代には、既にこの章法の暦からは外れていたが、その慣習は伝わり、朔旦冬至を祝うようになったのである。

 このような背景もあり、太陽神的な天照大神を祀る神宮で20年毎に遷宮が行われる理由は、技術継承や御正殿の耐久年数説などともに、朔旦冬至もその有力な説とされている。
また、2014年は神宮御遷宮の翌年だが、出雲と皇室の御婚礼があったこと、本来の神宮だという説がある伊雑宮の御遷宮が斎行されたことなど、大変重要な年だった。
 更に、前回の御遷宮では伊雑宮の遷御は11月初旬で、年内にすべての別宮の御遷宮が終了し、最後に年末に宇治橋鳥居が建て替えられたのだが、今回は別宮御遷宮のタイミングは前回より遅れているのにも関わらず、何故か、宇治橋鳥居の建て替えだけは出雲と皇室の御婚礼直前の10月3日で、冬至の朝には新しくなった宇治橋鳥居の中心から昇る日の出を拝することができるのである。

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 2014年はこのような特別な年であり、新月から月は満ちていくので、2014年の冬至は太陽と月が同時に“復活”するという、まさに“日と月”が神の啓示を示すが如くの最も特別な冬至なのである。そんな年の冬至の日に、冬至とは何なのか、考えられては如何だろうか?

↓以下、冬至とはいったいなんなのか?誰も知りえなかった驚愕のルーツを探る。
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冬至 を開く

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管理人コメント

冬至に、宇治橋の中心線を、太陽が昇る・・・ いったい、古代の人はどれだけの叡智を持っていたのでしょうか。

あわせて、日本の裏側の「マヤ」での冬至にまつわる叡智を見てみましょう。

チチェン・イッツァは、メキシコのユカタン半島に残されたマヤの都市遺跡。
高さ約24m、9層からなる壮大なピラミッドがあります。
4面に配された各91の階段に最上部の神殿を加えると階段の総数は「365」となり、全体が1年を表すマヤ暦となります。
現在は保護と落下防止(年に何名も観光客が落下して死亡)のために登れませんが、昔は登れました。
とても急勾配です。

このピラミッドは、春分と秋分の日に起こるククルカン(別名、ケツァルコアトル。蛇の姿をして羽をもつ農耕の神)の降臨現象で知られています。
太陽が西に傾くと、階段の側壁に、ピラミッドの影が蛇の胴体となって浮かび上がり、階段下部のククルカンの頭像と合体し、巨大な蛇が姿を現します。
そして、夏至と冬至には、ピラミッドの一面が太陽の光と影の部分に、ちょうど半々に分かれる現象も確認されています

これらの現象は偶然の所産ではなく、天文学の驚異的な発達を示すもの。
現在、世界標準とされる太陽暦(365.2422日)と、マヤ暦(365.2420日)を比較してもほとんど誤差がありません。
こうしたマヤ人の高度な天文学知識と建築技術は、まだまだ解明されていない現象がありますが、そのルーツも、上記と同じものなはずです。
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