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<神の名を冠する天皇>

 古代史を含めた日本史(正確には國史)学会では、相変わらず「欠史八代(第2代・綏靖天皇から第9代・開化天皇までの御存在の否定)」史観などが幅を利かせ、それらの天皇は存在しなかった、などという見解が未だにまかり通っている。
挙句は、神武天皇は存在しなかった、とも。
しかし、今上陛下が第125代なのだから、御名は「神武」ではなかったとしても、必ず初代天皇は存在したのである。

 欠史八代の観点からは、初代天皇が初代・神武天皇=第10代・崇神天皇となるが、もう少し下ると、第15代・応神天皇となり、このあたりからは実在性がほぼ確実視されている。
 実は、欠史八代の天皇も確実に存在しており、それは国宝の海部氏系図を詳細に検討すれば明らかで、それについてはこれまでの資料を参照頂きたいが、未だに学会がこのような状況からすると、歴史上の諸資料は、事実を封印している様相である。
すなわち、触れられて欲しくない話題のようである。
確かに、古事記などでも、事績はほとんど記載されておらず、存在を疑われても仕方がないような記述である。


※海部氏系図(wikipediaより)

 皇統は、神武天皇以来、男系の万世一系とされている。それで触れられて欲しくない話題とは、実は男系の万世一系ではないのではないか?どこかで皇統が替わっているのではないか?ということに相違ない。
その鍵となるのが、天皇の御名である。それは「神」の名を冠する天皇である。
 「神」の名を冠する天皇は、初代・神武天皇、第10代・崇神天皇、第15代・応神天皇の御三方のみで、まさに欠史八代に深く関わってくる方々である。

 近代稀に見る、譲位という形式での皇室の代替わりが確実となった。太古、力に依る代替わりもあり、後に政治的策略で強制的に代替わりさせられたこともあった。昔は“人生50年”と言われた頃もあったので、それからすると、今日の皇族方の御長寿は、寿ぐべきことである。しかし、今回はその“長寿”社会故の、悩ましい代替わりでもある。
 このように、(秋篠宮家の御婚約も含め)国民の目が皇室に向けられている今、日本に於ける皇統とは何なのか、考えてみては如何だろうか?

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神の名を冠する天皇


---管理人コメント----------------

まずはじめにお断りしておきたいのは、
ご存知のとおり「天皇の系図」や「いったいどこにいたのか」には数え切れないほど諸説ある。
本資料は、「神を冠する天皇の名に秘められた意味」という切り口による歴史の見方を、京都府宮津市に鎮座する籠神社の社家、海部氏に伝わる海部氏系図(あまべしけいず)から紐解いた。
それが是か非か、正統はどっちだ、という不毛な話はここではいったん忘れて頂きたい。

文献として後世に残ったものは時の権力者の都合に合わせ書き換えられている可能性が高い。
現代の歴史研究家ですら、証拠-推測-思い込み-決めつけ これらの境目はあいまいで、
場合によっては、他人のブログを引用、「あの人もこの人もこう言っている」ただそれだけで「証拠」としてしまうことまである。

「その場にいなかった」のだから、誰にも事実はわからない。

しかし、もしそうだとしても名を付けた瞬間からそこに魂の宿る「名前」そのものには、変わらぬ意味がありそうだ。
記紀などでも違う名前で同神が多々見受けられる。

たとえば、蘇我に反抗して暗殺された崇峻天皇、讃岐に流罪になった崇徳上皇、これらは死後に贈られた「諡号」であり、当時は目に見えない力は当たり前であったことからも、呪いや祟りを恐れたからこそ、「崇」(崇拝するの崇。祟りではないことに注意。)という最高級の字をたてまつって御霊の怒りを鎮めよう、といった意味があるとされる。


では、「神」の名をもつ天皇は?その時代にはいったい何がおき、どのような意味で神がついているのか?
歴史を紐解くには、ひとつのことに固執せず、さまざまなアイデアを試してみることが必要だ。
ぜひpdf資料を読んでいただきたい。

さて、管理人としては、「音」にも着目しておきたい。
神=カミ、カム、シン、ジン、コウ・・・さまざまな読み方がある。

たとえば前述の「海部氏」のルーツはどこなのだろう?
インターネットで検索すると、それを地名にもつ場所は、
尾張の国愛知と、阿波の国徳島にのみ、「海部郡」がある。

しかし愛知は海部と書いて「あま」とよむ。徳島は「かいふ」とよむ。
漢字はあとからあてたもので、海部氏、愛知の海部郡、徳島の海部郡、まったく異なるものである可能性も?

元伊勢籠神社もどうだろう?
以前まで籠目紋の石碑があったことから、「かごめかごめ」の歌の謎解きの地だともうわされた。
しかしこちらも、「籠」は同じでも、「かご」ではなく、「このじんじゃ」とよむ。
まったく関係ないのでは?


これだから歴史は面白い。

※歴史がながい種族ほど、同じ発音で意味も近い言葉があったりする。
ヘブライ語、トルコ語、日本語、南北アメリカ大陸の先住民の言葉には、同音同意語がある。
もうひとつ、表音文字はなぜこれほど多様化し、表意文字はなぜアジア、中南米にばかり多いのだろうか。





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<星の信仰-太陽信仰の本質>

 日本の最高神は、太陽神的性質とされている天照大神である。
しかし、天照大神を祀る神宮を象徴する言葉“太一”は、道教に於いて北極星を意味する言葉から借用したもので、夜空の星に関わり、太一は天御中主神とも見なされている。また、天照大神と共に誕生した月との関係を暗示する三貴神のツキヨミについては、保食神(ウケモチノカミ)との話があるぐらいで、同じ三貴神なのに天照大神とスサノオの話の陰に隠れている。他に、住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)などは筒が星を意味する古語であることから、オリオン座の三つ星の象徴ではないかとも言われている。

 仏教系では、天照大神は大日如来と習合されたものの、大きな祭典としては災害や災いを除くとされる星まつりが有名である。また、太一に相当する北極星は妙見菩薩として信仰されている。
 鞍馬寺のウエサク祭で歌われる「魔王尊にささげる歌」には“他界の太陽シリアス”などとあるが、アフリカのドゴン族は、宇宙の中心にシリウスが位置しており、かつてシリウスからやって来た水の主ノンモが人類の祖となり、まだ未開だった人類に様々な知識を授けて帰って行ったという伝承を有する。その鞍馬寺の奥の院では、地球を守るため、650万年前に金星から飛来したとされる魔王サナト・クマーラが祀られており、金星(虚空蔵菩薩の化身)は空海が修行中に飲み込んだともされる。

 どうやら、太陽神的な天照大神信仰の裏には、星の信仰に関わる重大事項が隠されているように思われる。それについて、検討してみよう。

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星の信仰


---管理人コメント----------------

まず初めに知って頂きたいことが。
本日「2016/10/15」は、本PDF資料にもある「眞名井神社」の御修繕のための仮遷座の日です。
その眞名井神社は70年以上御修繕されていなかったものの、縁あって、 この年に急に御修繕が決まったようです。
またアフリカのドゴン族同様、シリウス・水とかかわりの深いニュージーランドのワイタハ族の長老も翌週10/23にこの「眞名井神社」にてセレモニーをされる予定とのこと。

2016年、天皇陛下の譲位の意志発言もあり、なにかが・・・『集まってきている』、ように感じます。

人、情報、叡智、なのかはわかりませんが、「変革に向けたあらゆるパーツ」とでもいうのでしょうか。

みなさんはいかがでしょうか?

さて、管理人はこの投稿日の前週末に、本資料にもある日本総鎮守「大山祇神社」に行ってきました。
事前に受け取らせていただいたこの資料を、旅の準備に多忙で読めていませんでした。
この投稿のために戻ってきてから拝読したところ・・・大山積神についても、
瀬織津姫についても書いてあるではありませんか・・・今回の旅を辿ったかのごとし、でした。

大山祇神社は、大山積神(オオヤマヅミノカミ)が御祭神ですが、
瀬戸内海の、愛媛と広島を結ぶように小さな島々が点在し、その中の「大三島」にあります。

本ブログ開始のきっかけともなった、
『天孫人種六千年史の研究』(伊予国一宮大山祇神社・元宮司・三島敦雄著)が書かれた場所です。

ところで、どうして瀬戸内海の真ん中の島に祀られる神が 山の神で、しかも日本の総氏神なのでしょうか。

瀬戸内海には日本で唯一といっていい、「洪水伝説」があるそうです。
世界ではノアの方舟に代表されるようなものが各所にありますが、日本ではほかになさそうです。
洪水、水=「瀬織津姫」。
瀬戸内海は太古は陸地だったとしたら。そこに洪水が起き水が流れ込み、大災害となり、海と化した。
今の「鳴門の渦潮」のような干潮満潮の潮の流れによる不思議な現象が見られるようになったのではと。

まるで瀬戸内海の水害を抑え込む、封印するかのごとくに点在する島々を見ると、
はるか太古の水の神、「瀬織津姫を大山積神で封印」したのではないかという説が、目視でもわかる、納得できる説なような気がします。
oomishima.jpg


いま、その太古の神、瀬織津姫の封印が解かれる時代なのかもしれません。(瀬織津姫は、シリウスよりはるか遠くい昔のベガの時代の精神を背負っているともいわれます。織姫ですね。遠い遠い、昔です。)


なお、大山祇神社には、境内マップにはない奥の院があります。
そちらには境内のご神木を凌駕するような、樹齢3000年のご神木がありました。
「生樹の御門」と言います。(屋久杉が見つかるまでは日本最古)
大山祇神社に足を運ばれるかたはぜひそちらで、縄文以前、を感じてみてください。
ikiki.jpg


★オマケの余談★ 
本資料には載っていない、管理人がとても気になったこと。
大山積神は、瓊瓊杵尊(ニニギ)の義父にあたります。
ニニギが木花咲耶姫と結婚したことは有名ですが、大山積神は、姉の磐長姫も一緒にもらってほしいといいます。
しかし、ニニギは木花咲耶姫と結婚し、容姿が醜かったということから磐長姫を返してしまいます。

大山積神は怒ります。
磐長姫を差し上げたのは天孫が岩のように幾久しく永遠のものとするため、
木花咲耶姫を差し上げたのは天孫が花のように繁栄するためであったことから、
磐長姫を返したことで天孫の寿命は短くなるであろうと告げました。これを日本書紀ではいまの人類の寿命が短くなった理由であると書かれています。

この姉妹は二人で一人でなければならなかったわけです。
表と裏。光と影。精神と肉体。この姉妹は、
封印された瀬織津姫そのものなのではないでしょうか?合わせ鏡。

その磐長姫はひっそりと境外社の「阿奈波神社」に祀られています。
健康や長寿の神として崇められており、特に子宝、女性の子宮系の病によいとされ、
奉納品を収める別社には男根を模した木、石が納められています。
境外社といっても上記のような重要性から、立派な石灯籠が海岸線に続いた先にあります。

大山積神は、和多志神と言われます。つまり、アナハとワタシ。あなたとわたし、です!

そこが今回、参拝しに行ってみたら・・・・
夏の台風で起きた土砂崩れで、破壊されていました。なんとか、本殿にあたるお社だけは無事でしたが、
鳥居もまわりの瑞牆も押し寄せた土砂で崩れていました。

※以下ネットから拝借した過去の画像。
anaha1.jpg

※今回管理人が撮影した画像。
anaha2.jpg

この土砂崩れを知らなかったので、管理人は仲間たちと呆然としました。

奉納された男根たちはもはや見えず、土砂の中です。
これは、「男性は不要。女性の時代。」ということの掲示でしょうか?

また、この土砂崩れによる瑞牆(神社の結界)が破壊されていたことは、
瀬織津姫の封印が解かれたとよむべきか?それとも?・・・

大三島には、「瀬戸」という地名があります。瀬戸の内側は、瀬戸内海。
岩戸、瀬戸。

「瀬の戸が開く」のかもしれませんね。

皆さんはどのように感じますか?


2016.06.24

大嘗祭

<大嘗祭>

 大嘗祭(だいじょうさい)とは、即位に際し、天皇が初めて新穀を食(め)され、皇祖及び天神地祇に供し奉る儀式で、一世一代の特別な新嘗祭(にいなめさい)である。その儀式は非公開であり、それ故、様々な憶測が飛び交っている。中には、イエス・キリストの“最後の晩餐”から磔刑による死、そして、その後の復活をなぞる儀式だという説まで飛び交っている。
 しかしながら、皇居に於ける新嘗祭や神宮の神嘗祭も併せて冷静に分析すれば、そのようなものではないことが解る。

 また、政教分離が唱えられた戦後、反皇室主義の団体等から、大嘗祭は違憲ではないか、と言われ、神社に迫撃弾が撃ち込まれたこともあった。
 政教分離などは欧米諸国、特に独自の宗教を認めない世界支配主義者たちによって導入された日本人の精神性破壊工作の一環であり、故に、国家の最も重儀とされる大嘗祭でさえ、反対するような国民が出てくる事態になってしまった。

 では、大嘗祭とはどんな儀式なのか?また、大嘗祭には京都の広隆寺も関わっており、それにはミロクが大いに関係しているのだが、その意味することは何なのか?
 では、多くの国民には謎とされているその儀式について紹介し、考察しよう。これにより、皇室、そして日本という国に対する理解が少しでも深まれば幸いである。

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『大嘗祭』

大嘗祭



---管理人コメント----------------

いよいよ日本ルーツも大詰め、「大嘗祭」。
わかりやすくいえば、「天皇霊のバトンわたし」的意味合いをもつ。

本資料は、なじみのない専門用語が並び、はっきりいってとても難しい。
が、ここまで詳しく大嘗祭をまとめたものはほかにあっただろうか?
一度では到底理解できないだろう。
なにかの折にまた思い出したように再読するために、ぜひダウンロード保存してほしい。

今上(きんじょう)両陛下もかなりのご高齢だ。
いつまでもお元気で、と願うところではあるが、いつかはその時が来る。

振り返ってみよう。

明治からの大嘗祭
明治天皇 1871年(明治4年)
大正天皇 1915年(大正4年)
昭和天皇 1928年(昭和3年)
今上天皇 1990年(平成2年)

今上天皇の大嘗祭のときは、今のように手軽にインターネットで情報検索などできなかった。
次回は「天皇陛下が崩御され、元号が変わった」程度の理解ではなく、「日本」というアイデンティティがどのように守られ、幾久しく続いてきたのか、どうしてこのような御神事が存在するのかを国民としてじっくり考察しながら、次世代へつなげていこうとする人が一人でも増えればいいと思う。

「天皇」といえばすぐ敏感に反応する人々がいる。
しかし、右だ・左だの議論の前に、
神武天皇から数えても第125代つづく「歴史」の重みを誰がどのような責任で「反対」といえるだろうか?
続いていることそのものが、地球上ではどの民族も真似できなかった、とても尊いこと。

その国に、わたしたちは生きている。

<新嘗祭、神嘗祭、古伝新嘗祭>

 現在、新嘗祭(にいなめさい)と言って、どれほどの人が意味を理解できるのだろうか?
戦後、GHQの占領政策に依り、祭日の名称はことごとく変えられてしまい、それはすなわち、日本人の精神性破壊工作である。

現在、「勤労感謝の日」とされている日は、かつては「新嘗祭」だった。

新嘗祭とは、その年に収穫された新穀に対する感謝祭で、農耕を主体としていた日本にとって1年で最も重要な神事だが、その主役は宮中に於ける天皇陛下=祭祀王である。
いわゆる祭日とは、宮中に於ける重要祭典(神事)の“祭りの日”のことなのである。皇室は日本人の精神に深く関わる大元だからこそ、祭日の名称変更が精神性破壊に繋がるのである。

 さて、その新嘗祭だが、単なる収穫感謝祭ではない。そこには、天皇の霊威更新という意味がある。また、新嘗祭に先駆けて行われる伊勢の神宮の神嘗祭(かんなめさい)は神の神威更新であり、それが“常若(とこわか)”の精神の大元なのだが、実はフェニキアや邪馬台国との繋がりが伺える。更に、出雲大社に伝わる古い新嘗祭「古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)」には、古代から連綿と続く新嘗祭の真意を紐解く鍵がある。それは、この宇宙の根源にも関わることである。

 かつて、新嘗祭が終わるまでは、その年の新穀を口にすることはできなかった。秋口になれば競って新米を食す飽食の現在、新嘗祭について考え、食への感謝、自然への感謝という気持ちが少しでも芽生え、この大宇宙の中の自分という存在について考える一助となれば幸いである。

↓全22ページ 883byte 本編はこちら
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新嘗祭、神嘗祭、古伝新嘗祭



--管理人コメント------------------

『 現在、「勤労感謝の日」とされている日は、かつては「新嘗祭」だった。 』

これを忘れないこと。
知らない方に教えてあげて頂きたいこと。
この二つが、これを読んでくださった読者の皆様にお願いしたいことです。

今回は、もはやそれ以上のコメントなど無い方が良いでしょう。

ただ、ひとつだけ言っておきたいことがあります。

今回のこのテーマを魂の奥深くに響かせるには、
いま「在る」ことへの感謝、「幾久しく続く」自然の理(ことわり)への感謝、が大事だということです。

・・と簡単に言いましたが・・・感謝、できていると思いますか?
かたちばかりの「頂きます」「ありがとう」ではないでしょうか。
われわれは、どうしてそれ(感謝)ができなくなったのでしょうか?

それは、土に触れなくなってしまったことや、口にする食べ物(生命)の殺生を目の当たりにせずに食べている(生きている)からにほかなりません。

管理人も数年前からやっと、
農をやったり、味噌を作ったり、自ら土に触れはじめたことで、
種イモからまたイモができていく繰り返しや、
畑に生えた雑草を堆肥にして発酵させ、また畑に戻して土がよみがえっていく様を体感してはじめて、頭でしか理解していなかった、と知りました。
言葉にならない、表現しようのない森羅万象的なものを感じたということです。

とったイモひとつひとつに、名前を付けたくなるほどです。
食べるとき、感謝は当然のことですが、「こいつと一体になる」という感覚がわきます。

まだ農に関わっていない方は、来春から、市民農園でも初めてみてはいかがでしょう。

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※今回はとてもきわどいテーマです。
管理人コメントをよく読んでから、本編を読むかご判断ください。


<田布施とイワキ山-吉田松陰と安倍氏~國體護持->

山口県の田布施については、いろいろ言われている。
すり替えられた明治天皇、大室寅之祐(オオムロ トラノスケ)の出身地であり、長州時代の朝鮮人被差別部落で、維新後の日本で暴利を貪ってきた連中の土地という見解である。
確かに、維新後の政府・官僚は薩長系が優遇され、現在、多くの政治家や官僚が腐敗しているし、マスコミなどの左派にとっては不利な右派的な政策を進める岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は長州の田布施に関わる一族だから、このような説が流布するのも、ある意味、当然ではある。

しかし。
本当に田布施はそのような土地なのか?

維新後の歴史とは何なのか?その鍵を握るのが、田布施にある石城(いわき)山であり、それは津軽の岩木山と関係があり、両者を吉田松陰が結ぶ!そして、そこに更に関わってくるのが安倍一族である。この安倍一族とは、自虐史観から脱した歴史的な戦後70年談話を発表した安倍晋三氏(平成27年度時点の総理)の一族である。

吉田松陰、安倍一族、、、そこに共通するのは「國體(こくたい)護持」である。

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田布施とイワキ山

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google map

管理人コメント-------------------------

ついに、このテーマ。
まずお願いしたいのは。このブログも、筆者も管理人も、右も左も無し、
どの団体にも傾倒していないことを前提とし、そして、ご自身も中庸の意識で読んでいただきたい。

それをお約束いただけないのなら、読まないでほしい。いや、読む資格もない。

たとえばいまこれをご覧のあなたは、国会議事堂前での高度経済成長期以降、類を見ない学生を中心としたデモについてどう思っただろうか。

賛成だろうか?
反対だろうか?

どちらだとしても、賛成ならば反対派を、反対ならば賛成派を批判しているとしたら、それこそいま最も慎むべき行為ではないだろうか。
※無関心、行動しないのはもっと罪深いというこは間違いないのだが。

皆で対局を批判をすることで、自分の立ち位置を保とうとする心の弱さがいま、あちこちで露呈している。
これは右でも左でもリベラルでも、上から見れば同じ「依存」でしかない。

で、アナタはなんなのか。
あなたは、愛するもの、仲間、家族、それを守る地域、社会、国、それぞれの未来のために、ア・ナ・タは、何を、どんな行動をするのか。
依存の先に、未来はない。誰かや神に与えられた「お役目」とやらも”単なる勘違い” "弱い自分への自己暗示"、だ。
ワタシ(あなた)、は、自由意思で、自己責任で、なにをするのだ?

さて、田布施支配層ネットワークは実在する。

歴史には理由がある。ただ、そこからの恩恵があったからこそ今の幸せがある、ことも忘れてはいけない。
時代をシフトさせたいなら、代案なき批判ではなく、これまでの流れを冷静にしっかり分析し、理解し、受け止めることがまず必要だ。なぜ、それは在った、のか。紐解いてみましょう。

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