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<大嘗祭(だいじょうさい)-改訂版->

 2016年6月24日に<大嘗祭>を公開した。以後、様々な情報や他記事の考察から、修正や追記が必要となったので、以前の記事に上書きしようかとも思われたが、本年令和元年10月には今上陛下の即位式、11月には大嘗祭が斎行されることから、新たに「改訂版」として記事を起こすこととした。

・修正情報:八平手の拍手について。
・追加情報:大嘗宮正殿内部図、即位式概要、卯の日の意味。
・大嘗祭の本質再解釈。特に粟(あわ)が秘儀とされる点に着目して。

 なお、ここに記載されている儀式内容は、核心部分は現代も継承されてはいるものの、すべてがそのまま斎行されているわけではないことに注意頂きたい。例えば、かつて大嘗宮造殿は大嘗祭の祭日3日前までに5日間で竣工されていたが、今回は7月26日に造営工事が着手され、大嘗宮の材質や斎場の大きさも、時代によって変化している。

 また、当ブログに初めてお越し頂いた方に向けて、カバラやシュメール、スミルノフ物理学といった、当ブログ特有の内容をカットした「初心者用」も用意させて頂いた。「初心者用」とは言っても、かなり詳細な神道の内容なので、普段接することが無い独自の用語や難しい読みの言葉が頻繁に登場するが、そういうものなのか、という程度で流して読んで頂ければ良い。なお、どうしても陰陽道(おんみょうどう)的考察は不可欠であり、且つ、我が国の歴史の真相に深く関わっているのが伊勢の外宮・内宮の両方の元伊勢である籠(この)神社であるため、陰陽道的な話や籠神社の秘伝などが唐突に記されているが、難解な用語共々、ご容赦願いたい。(外宮・内宮の両方の元伊勢とされるのは、唯一、籠神社のみである。)

 今回の改訂を通じて言えることは、大嘗祭は天皇一世一代の最も重要な神事であり、故に、そこには神祭りの深い真意が隠されていた、ということである。
 この記事が、皇室そして日本という国を理解することに対して、少しでも役立つことができれば幸いである。

↓無料ダウンロード↓
『大嘗祭』-改訂版

『大嘗祭』-初心者用


---管理人コメント----
日本を国として世界一長く存在させてきた「天皇システム」。
個々の時代を一本の歴史として繋ぎとめてきた、最重要祭祀「大嘗祭」。
このドキュメントは、すべての日本人の魂に届いてほしい。

「粟こそが大嘗祭の秘儀」というこの研究結果から受けとったのは、「天皇と民で家族=国」ということだった。

現在、大嘗祭を前に、徳島県木屋平で作られ調進される「麁服」に注目が集まっている。
伊勢神宮垣内に敷き詰められた「お白石」も、徳島県吉野川流域で採取され、伊勢に運ばれる。いったい何故?
今回の改訂版では、「阿波の再考」も最高である。
以下、ドキュメント本編から抜粋する。

※下記リンクにある上一宮大粟神社のyoutube動画は、徳島県出身のオキタリュウイチ氏撮影。

~本編より抜粋~
(5)米と粟=阿波の再考
“粟こそが大嘗祭の秘儀”としたが、ここまで考察を基に、天照大神と豊受大神の観点で米と粟=阿波を再考する。
粟は米に先立つ穀物で、縄文時代から食されていた。だから、粟(と麻=麁服)は儀式が先立って斎行される悠紀に、米(と絹=繪服)は主基に相当する。
また、粟=アワ=阿波の忌部氏である三木氏は麁服に神降ろしするが、その神は前述の如くウシトラノコンジン=豊受大神である。ならば、粟は豊受大神、米は天照大神に相当すると言える。
そして繰り返しになるが、悠紀殿での儀が主基殿に先立って斎行されることは、豊受大神を祀る外宮の儀が天照大神を祀る内宮に先立って行われる外宮先祭と同義である。
従って、粟=悠紀殿=外宮=豊受大神、米=主基殿=内宮=天照大神という図式が成立し得る。
更に、作物的な観点からすると、粟は米が育たないような寒冷地や高地、高緯度地域でも栽培可能である。これを陰陽に当てはめれば、米は陽、粟は陰の穀物と言える。

そして、豊受大神の本質は天御中主神のエネルギー、天照大神の本質はそこから発せられる光のエネルギーだが、このエネルギーは比誘電率と比透磁率が1より小さい負のエネルギーなので、実質的にそこから発せられる光もまた負のエネルギーの光なので、エネルギーとしては陰である。故に、豊受大神も天照大神も陰である女神となる。
しかしながら、光は太陽の光の如く陰陽道的には陽としての扱いであり、天照大神は太陽神的でもあるので陽となり、豊受大神との陰陽の合一で天御中主神を形成するわけである。
故に、米=陽=天照大神、粟=陰=豊受大神と言える。つまり、粟と米の両方を聞し食されることにより、陰陽の合一によって天御中主神の霊威を頂くことになる。

なお、降臨する神として、一般的には前述の天照大神以外ではタカミムスビノカミが挙げられることがある。天御中主神、カミムスビノカミと共に造化三神を形成するが、タカミムスビノカミの娘(ヨロズハタトヨアキツシヒメ)は天孫ニニギの母であり、タカミムスビノカミは天照大神よりも優位に立って天孫降臨を司令した。
また、即位前の神武が熊野から大和に侵攻する場面で神武を助けたタカクラジの夢に登場して手助けしたりしており、常に天照大神(とその子孫)を裏から支えるような役割で、実質、高天原はタカミムスビノカミと天照大神によって統治されていたとも言える存在である。そうすると、タカミムスビノカミは創造神的な造化三神の一柱で、高天原を神々の世界としての創造神の世界と見るならば、タカミムスビノカミは豊受大神に相当する。

では今一度、悠紀殿と主基殿の両殿で同じ儀式が斎行されることについて考察する。
悠紀殿、主基殿では共に粟と米が供えられ、両殿は同じ儀式が斎行されるが、悠紀殿の儀式は午後9 時から11 時頃に、主基殿の儀式は午前3 時から5 時頃に斎行されるという点のみが異なる。
大嘗祭では神が神座に降臨し、天皇御親ら神饌を奉っておもてなしされるが、悠紀殿、主基殿いずれも天皇がおもてなしする神は天照大神とされてきた。
ならば、悠紀殿で天皇が神をおもてなしした後、神は寝座で床に就かれ、そして高天原へお戻りになるはず、である。しかし、その後は主基殿にも降臨し、同じことが繰り返されるということはおかしい。
そこで、外宮に相当する悠紀殿の儀式は深夜だから陰、内宮に相当する主基殿の儀式は夜明け近いから陽ということ、及び外宮先祭ということからすると、まず悠紀殿に降臨されるのは天御中主神の根源エネルギーである女神・豊受大神で、豊受大神は豊穣神で食も司るから、新穀の米と粟、特に陰のエネルギーの象徴である粟を通じて天皇は深夜に陰のエネルギーである豊受大神の霊威を頂く。
その後、暁の頃になると主基殿に天照大神が降臨し、天皇は特に陽のエネルギーの象徴である米を通じて陽のエネルギーである天照大神の霊威を頂く。

これにより、豊受大神の霊威と天照大神の霊威の陰陽の合一が完成し、天御中主神の霊威を頂いたことになる。そして、すべての儀式が終わる頃、朝日が昇り、日嗣の皇子としての天皇が完成するわけである。
つまり、大嘗祭で粟が秘儀とされるのは、陰(いん)の新穀である粟の陰(かげ)に根源的エネルギーである陰(いん)のエネルギー、豊受大神が隠されていたからに他ならない。そして、御座と神座が神宮の方角に向けられ、時間差をつけて悠紀殿と主基殿の両殿で同じ儀式を斎行するのは、皇祖神たる天照大神のみならず、豊受大神も天皇御親らおもてなしして霊威を頂くからである。
また、悠紀殿と主基殿の両殿に新穀としての粟と米、神服としての麁服と繪服をそれぞれお供えするのは、単にそれぞれが豊受大神、天照大神を暗示しているだけではなく、粟と米、麁服と繪服のそれぞれの両者が合わさって天御中主神を暗示しているからである。

すなわち、大嘗祭は天皇が御親ら神祭りし、新穀を通じて豊受大神と天照大神の霊威を頂き、両者陰陽の合一で天御中主神の霊威を頂くことになって“天皇の永遠、天皇の弥栄”を願う儀式に他ならない。
以上、即位式は、新帝が天御中主神を祀る祭主かつ地上に於ける代理人であることを内外に知らしめる儀式であり、大嘗祭は、新穀を通じて天御中主神の霊威を頂き、“天皇の永遠、天皇の弥栄”を願う儀式である。
かつて、神社は東西方向(本殿は東向き)を向いていた。それが新制神宮創祀以来、主に南北方向(本殿は南向き)に変えられた。そうすると、参拝者は北を向くこととなるが、それは北極星=天御中主神を拝しているに他ならない。

また、粟に関わる阿波に関しては、<空海>にも記されているように、オオゲツヒメに関係がある。以下、その部分を振り返る。
古事記に依れば、オオゲツヒメはスサノオに斬り殺され、体の各部位から蚕や穀物が芽生えたとされ、アワ(阿波、粟)の国の名前として記載されている。
つまり、オオゲツヒメは豊穣の女神であり、豊受大神と同義で、そのオオゲツヒメが祀られるのは上一宮大粟神社(徳島県名西郡神山町)、一宮神社(徳島県徳島市)、阿波井神社(徳島県鳴門市)で、いずれも徳島=アワの国のみである。
これが、日本書紀ではツキヨミがオオゲツヒメと同義のウケモチノカミを殺したことになっている。ウケモチノカミ=保食神だから、オオゲツヒメ=ウケモチノカミ=豊穣の女神=豊受大神である。中でも、上一宮大粟神社はかつて阿波一之宮という格式であり、伝承に依れば、衣食の神の総本宮であり、イザナギ、イザナミ両神よりも古い神で月神であり、永遠不滅ということからしても、やはり豊受大神と同義である。

(この神社伝承部分は以下参照。

【神山】上一宮大粟神社② 阿部宮司による御祭神(オオゲツヒメ)説明
https://www.youtube.com/watch?v=kES5FciT_cM&feature=youtu.be

【神山】上一宮大粟神社③ 阿部宮司による御祭神(オオゲツヒメ)説明その2
https://www.youtube.com/watch?v=fH38SKHBSDo&feature=youtu.be

むしろ、歴史の流れを考えると、
海部氏一団が沖縄・奄美を経て霧島~宇佐に渡来して縄文王家の入り婿となり、その後、四国の太平洋岸及び瀬戸内に分かれて近畿に向かい、途中、忌部氏の一部が阿波に留まり、祭祀の基礎を整えつつ、海部氏が丹後へ達して中央の縄文王家に入り婿し正式な弥生大王家となり、南下して邪馬台国を築くと、阿波忌部氏が呼び寄せられて新たな祭祀が始まり、それを暗示させるために、阿波と紀伊半島の地名を同じとしたことからすれば、豊受大神祭祀の根源も阿波と言えるだろう。それを裏付けるかの如く、上一宮大粟神社の拝殿近くには「天の眞名井」がある。
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梅雨も明け、35度を超える酷暑、皆さん元気にとろけてますか。

こんなときは祭りですな。ワッショォォーーーーイ!!
今年は、天皇が譲位(じょうい)されたので、数十年に一度しかない「大嘗祭」がある。

さてさて。
ところで「マツリ」ってなんなのさ?
神輿(みこし)、花火、綿あめ、おはやし、などは思い浮かぶが、
「ジャペンの「マツーリ」ってナンデースカ?」と外国人に聞かれたら、なんて答えるだろうか?
「ジャパニーズ、フェスティバル」←これでいいのか!

祭り。「神祭り」のこと。
祀り。神霊を慰める、安置する。
奉り。神(上位の人)に献上する。
政治も、「マツリゴト」という・・


これら、音はみな「マツリ」で、意味的にはどれも、庶民の日常生活とはちがう、どちらかと言えば上位にあたる敬意をもって扱ったほうがよさそうな次元における営み、といった響きに聞こえる点で共通している。

まず、いわゆる「祭り」からさぐってみよう。

祭りとは、そもそも「神祭り」が元となっている。
神社で神様をお祭りする神事(カミゴト、シンジ)のなので、神事のことは「お祭り」って言う。
本来神事は、神社の宮司さんや、その元締めである天皇陛下が、毎日のように執り行っている。
それがいつからか神社の重要な神事の日だけが「お祭りの日」となって、地域の人々が総出でするようになった。

まず、古来のシャーマン的ポジションの「宮司」さんが、その時期にあった祝詞(のりと)をあげ、五穀豊穣などをおごそかに祈念(きねん)する。つまり、お祈りだね。
かみさまー。起きてー。マツリおっぱじめるよー!のファンファーレのようなものか。
神社で柏手(かしわで)をうつのも、「神様、来たよ~!」のサインで、同じ意味がある。

そしていよいよ神輿が登場。
お神輿には神様に乗っていただく。これは結構世界で共通していて、何かしらの高座に神様がいるテイにして、それを担いで皆で歩いたりする。
※だからお神輿には、庶民がカッコつけたりして乗ってはいけない。
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(出典:Webサイト「歴史の浪漫街道」)

神輿かついで町内を練り歩くのは、神様に対して「安心してください!ごらんのように、皆、神様(自然)に感謝して元気に仲良く楽しくやってますよ!」ということを見せるための、神様の視察行脚(あんぎゃ)だ。
神様はテンションアゲアゲなスパークピーポーが楽しんでるのを見るのが好き。

神様:みんなーっ!ノッてるかぁーいっ?!
皆の衆:乗ってるのはあんただろー!ウェーーーイッ!!

この神も民もみんな一緒にノリノリ状態がいわゆる「弥栄(いやさか)」状態。
だから祭りでヒートアップしてケンカしたりなんて絶対にダメ。神様はそういうの大嫌い。
(ケンカなんかしたら、天罰くだるかも!?)

この日ばかりは、日ごろ仲悪かろうが敵対していようが、今、この瞬間の祭りを全力で皆で楽しむ。過去のわだかまりも未来の不安も、今この瞬間を真剣に生きることにはなんの影響を及ぼすことはないのだ。
これがいわゆる「中今(なかいま)」の考え方だ。

そのあと、お神輿は神社に戻って、みんなで楽しく食べ、飲む。
これは、神様と一緒に飲んで食べて楽しむ直会(なおらい)と言う。
神社で御祈祷(ごきとう)してもらったあとに御神酒(おみき)やスルメを頂くのは、それを簡略化したもの。
そして、満足した神様に本殿にお戻りいただく。
これが「お祭り」の神髄。

もう少し詳しく言うと、
神社にはいろいろな神事があって、小祭(しょうさい)、中祭(ちゅうさい)、大祭(たいさい)と大きく分かれる。
最も重要なのが大祭で、その神社の例祭(れいさい)や遷座祭(せんざさい)などだ。
規模はそれぞれ違うけど、やっていることはほぼ同じ。
まず神様に食べ物を捧げるが、この食べ物を神饌(しんせん)と言う。そして、宮司さんが祝詞を奏上し、撤饌(てっせん=神饌を下げる)して終わり。大きなお祭りのときは、これにプラス、お神輿などが出る。

農耕文明になってからの田植えや収穫、あとは季節の節目に設定されていることが多いが、
それにしても神道は祭り好き!
大祭に向けたプレ祭り、プレプレ祭りみたいなものがたくさんある。
京都・祇園祭の前日夜の宵山(よいやま)、前々日夜の宵々山(よいよいやま)、なんてのがいい例。

これは(推測だが)「庶民の生活にリズム感をもたせる」機能として設定されたのではないかと思う。

リズム=「ケ」と「ハレ」のバランス。
「ケ」と「ハレ」について昨今あちこちで聞くようになってきた。
「ケ」は日常。「ハレ」は祭りの日。

単調な日常も、「目標」である「ハレの日」に向けて頑張って過ごし、「ハレ」の日にすべてのパワーを注ぎ込む。
民衆のうっぷんのガス抜き、といった見方もあるようだが、それだけとは思えない。
「ケ」が枯れることを「気枯れ(ケガレ)」という。ケガレないように、タイミングよく「ハレ」の日が置かれている。
音楽でも、AメロBメロが続き、サビが来てぐっと盛り上がる。サビだらけだったらダメなわけだ。
ずっとサビのごとき声量で熱唱する人のカラオケは、聞いてて疲れるわけで。
たまに来るハレの日のマツリにワクワクすることによって、日常も幾久しく輝くのだ。

大昔はそんなハレの日に、鹿の角や亀の甲羅の割れ方、相撲などをして「神様のお告げ」を受けて政治をしていたから、政治の「政」は「まつりごと」という。
さて。いまの政治はどうだろうか?森羅万象を口にする政治家は実はたくさんいる。大宇宙、大自然の声が聞こえているのだろうか?

ケガレの話をもっと深めてみよう。
お神輿は最近女性も担いでいるが、基本的にはダメだった。
男尊女卑といった概念が生まれるはるか昔から、いわゆる「血の穢れ(けがれ)」としてダメだった。
「穢れ」=気枯れ=ケガレ。汚い、ではない。
神道では「血の穢れ」と「死の穢れ」を最も嫌う。
死は最も気が枯れた状態で、出血すると元気が無くなるし、場合によっては死んでしまうから。

たとえば伊勢神宮では20年毎にお社を遷(うつ)す遷宮(せんぐう)があるが、これは「常若(とこわか)」と言って、神様が常に若々しくあることで、神様のパワーがあちこちに満ち溢れる、という意味がある。
いわゆる「パワースポット」であり続けるためにも、神様の気が枯れてはいけない。
神様の気が枯れることは、日本や、その土地の気が枯れることにも直結すると考えられていた。
神道では「穢れ」を避けるためにお祓(はら)いしたりする。白い紙や布みたいなもの(本来は麻)が付いた木(おおぬさ=大麻と言う)を神主さんが左右に振っている、あれがお祓い。

祓いたまひ、清めたまへ、守りたまひ、幸(さき)わえたまへ。祓って清めてハッピーハッピーが基本。

よって、「血の穢れ」ということで、毎月出血する女性は、お神輿を担いだり、その期間は神社の神事にも参加できない。
この期間、女性は肉体的にも精神的にも不安定になるので、それをいたわる意味もある。
子供が生まれてから最初のお宮参りでは、母親は子供を抱けず、代わりに父親の母親(子供の父方のお祖母さん)が抱くのも、出産の血の穢れが理由なわけだ。

修験道などで女性山伏がNGだったのも似ているのだが、
なるほどと思う話に、女性はそもそも自然の、月のサイクルとともにあり、自然(ジネン)を取り戻すことができる、
男性はそうではないから、山(参道=産道)に入りお宮(子宮)等で滝行などをして「生まれ変わって」、「自然(ジネン)」ないしは「野性(ヤセイ)」を取り戻す必要があったのではないか、などと解釈している現代の先達もいる。
これは目からうろこだ。

さて、ちょっと先にも触れたが、全国でコンビニの数よりも多い神社の宮司さんたちのトップは「天皇陛下」である。

ちなみに伊勢神宮の神宮祭主の黒田清子さんは、上皇陛下の長女である。そのまえは上皇陛下の姉の池田厚子さん。
朝起きてから寝るまでご神事だらけ、国民と世界のために常日頃から神様をお祭りして祈られている。
※天皇陛下のお務めは「皇室の祭祀と生きて」(河出文庫 元内掌典(ないしょうてん)、故高谷朝子著)がとても詳しい。お勧め。天皇制反対!リッチでズルい!なんて考えのひとびとにもお勧め。イノキにビンタをくらうほど目が覚めるだろう。

宮中でも全国の神社と同じようにたくさんの神事=お祭りがあって、その中でも重要な日を、昔は「祭日」と言って、日本全国お休みだった。
それが戦後、日本人を骨抜きにするためのGHQの策略で「ただの休日」とされ、日本人は本来の「祭日」の意味が分からなくなった。「祝祭日」なんていうが、みんなゴッチャで単なる「お休みの日」なのだ!


そのお祭りの中でも、掌典(しょうてん)や内掌典の人たちが代理でできない、天皇陛下しかできないお祭りがある。
元日の日の出前に行われる四方拝(しほうはい:四方の神々と伊勢の神宮に国家の平安を祈るお祭り)、
11月の新嘗祭(にいなめさい:その年の収穫に感謝するお祭り)などだ。
新たな天皇陛下が即位する「大嘗祭」は、新元号の最初の新嘗祭なのだ。
※ちなみに「新嘗祭」も天皇行事を切り離すGHQ占領政策により「勤労感謝の日」になってしまった。

女性天皇だと、これらのお祭りの日に前述の「血の穢れの日」が重なるとお祭りができないので、歴史上、女性天皇はできる限り避けられてきたわけだ。(いなかったわけではないが、どの時代の女性天皇を見ても、「つなぎ」的役目だったことがうかがえる。)

以上、まとめるとこうだ。
・お祭りとは神祭りのこと
・その大元は皇室にある
・神職のトップが天皇陛下で祈りの存在
・昔は神様のお告げを受けて政治をしていたから、政治の「政」は「まつりごと」

余談:
お神輿がユダヤ由来で、ユダヤの三種の神器の1つの「契約の箱」だという説や、「ワッショイ!」という言葉が「神が来られた!」というヘブライ語だという説もある。また、「血の穢れ」の考えがあるのは、日本とユダヤだけだとも。ユダヤの失われた支族は日本人かも??

ある時期以後、日本の真相やユダヤとの関係になると、必ず話題に上るようになってしまった籠神社
かつては奥宮の石碑に六芒星が刻まれ、それが雑誌等に掲載されてしまったことがきっかけなのだが、当ブログのプロデューサーや筆者らもまた、それに引き寄せられた好事家の一人である。

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奇遇なことに、筆者らは第82代宮司から直接お話を伺うというご縁に恵まれたわけだが、そこには雑誌等では伺い知れない、極めて深い事実が隠されていた。言うなれば、雑誌等で言われていたことはほんの入り口に過ぎず、その扉を開けると、そこには広大無辺の大海原が広がっていたのである。

“極めて深い事実”とは言うものの、直接言及されるわけではなく、ヒントとなるようなことをおっしゃるのみで、あとは自分で考えよ、というスタンスなので、真相を追求したいのであれば、無謀にもその大海原に飛び込まざるを得なかったのである。そのためには、巷に溢れているような先入観は一旦捨て去り、虚心坦懐に研究・考察する必要性に迫られた。ある時は高性能の船が波をかき分けるが如く進み、またある時は大波に飲み込まれ、沈み、もがきつつも、何とかここまで辿り着けた状態である。

 その内容については既存の記事の各所に散りばめられているが、改めて参照したい場合、どの記事なのかを探すのは大変な手間である。そこで今回、平成の御代替わりの直後(2019年5月)に籠神社御鎮座1300年祭が執り行われることもあり、まとめとしての記事を作成するに相成った次第である。
 まとめなので大部分は既存の記事と重複するものの、新たに追記した内容もある。また、これまでのすべての記載内容を書き連ねると膨大な量になってしまうので、重要な点に絞ってそれを骨子とし、そこに肉付けした形としている。

 特に奥宮・眞名井神社が暗示する眞名井の宇宙観・世界観は、異端ながらも最新の物理学と相通じるものがあり、宇宙の構造が四次元のクラインの壺(メビウスの帯構造)であって、それが逸話としては瓢箪(ひょうたん)として喩えられていることは、一旦は分離してしまった“科学と宗教の融合”とも言うべきものだろう。
その眞名井神社は江戸時代の天保3年(1832年)に造替されたもので、所々の修繕を繰り返してきたが、約180年もの歳月を重ねた社殿の損傷は著しく、看過できない状態となっていた。それが、突如として解体・修繕できる運びとなり、2018年10月に解体・修繕後の正遷座祭が奇跡的に斎行されたのである。これもまた、何らかの徴であろう。

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 籠神社は元伊勢と称され、すべての神社の本宗と仰がれる伊勢神宮の元宮の1つとされるが、外宮及び内宮両宮の唯一の元宮(=本宮)とされるのは籠神社のみである。それは、祀られる神々や籠神社の祖先が培ってきた歴史の真相に深い関係があるからに他ならない。それ故に、現在まで大切に護られてきたのである。
 本記事ではそれらについても言及し、統括的にまとめられている。本記事が多くの方々の気づきとなり、宇宙的な使命としての意識覚醒に役立てれば幸いである。

本編pdfはこちらをクリック↓
籠神社と眞名井神社


--- 当ブログプロデューサー(管理人)補足 ---

※このブログに始めて訪れて頂いた方のために、(上記pdf書き出し部分の再掲)記事の繋がりを解説します。
--
これまでに幾度となく、籠神社と眞名井神社が登場した。それほど重要だということだが、当ブログ
<スミルノフ物理学> 投稿や
<瀬織津姫と菊理姫-シリウス系と太陽系> 投稿によって、宇宙の真理まで体現していることが判った。
そこで、籠神社と眞名井神社について、改めてまとめることとする。大部分は既存の記事と重複するが、2017 年に第82 代宮司が総まとめとしての著書を出版されたので、その内容など、新たに追記する。
なお、第82 代宮司との生々しい対談内容などについては、
<宇宙維新-黄金の夜明け背景資料(後編)> に示されている各記事を参照願いたい。
--

最も伝えたい「眞名井」の真意にみる、我々人類の「あり方」の部分を、ブログ上にも抜粋します。

大本をたどれば、起源意識(神・創造主)から生まれた「人間」という生命体。
元が起源意識であるから、創造主の子であり、分け御霊、分身であります。
われわれは、神の一部なはず。ではなぜ?エゴに振り回されるようになったのでしょうか。

--
生命体が物質を認識したり、自らと他を区別するためには、名が必要となった。(人=ヒト=霊人としての自己の誕生。)
それは単に、識別のためだけのものだった。しかし、人類型の生命体が誕生してから、「あなたとわたし」という単なる識別に、「あなたの物と私の物」という所有の概念=我(が)が芽生え、それがいつしか膨らんで「アレが欲しい、コレが欲しい」という欲望が
発生した。これがエゴ=自我である。
エゴがエゴを呼び、その所有欲は他者から奪う行為を発生させ、そこから憎しみが生まれて戦争が起こり、遂には、自らが起源意識の分身(=己、已、巳)であることを忘れてしまった。これはとりわけ、太陽系最外の惑星でシリウス系の惑星ニビルの住人アヌンナキが、ニビルの大気を修復するための金を採掘するために地球に降臨し、アフリカに居た猿人の遺伝子を操作して彼らに代わる採掘労働者としての人類を誕生させ、人類に対して“神”として振る舞い、人類が神を自らの外に求めることによって促進された。それにより、人類はエゴを膨張させてしまったのである。
換言すれば、人類はエゴという鎧でガチガチに固められてしまったことに因り、本来の性質(本質)が解らなくなってしまったのである。だから今に至るまで、人類型生命体の歴史は、その繰り返しである。その原因は、“名”に所有欲=エゴが付随したことに尽きる。このような宇宙の状態を表したのが“眞名井”に他ならず、名の真相は宇宙の真理そのものである。
アヌンナキは猿人を遺伝子操作して人類を創り上げ、自らを人類に対する“神”として振る舞うことにより、いつの間にか人類に大きなくびき(カルマ)を負わせたが、むしろ、エゴを解消するという全宇宙的な宿命により、地球と人類を学びの場とさせられた、とでも言うべきか?だから、地球=知球=知宮と命名されている。他の言語では、決してこの真理は解らない。
--

なお、これまでの記事にない情報として、
『元伊勢籠神社の略誌と神道哲学(海部光彦著、元伊勢籠神社、2017 年8 月8日)』
について、後半6ページにわたり解説されていますので、ぜひご覧下さい。

どれも興味深いものばかりですが、その中で管理人はここに心が奪われました。

『「もったいない」と同じような言葉に「おかげさま」がありますが、両語共に主語はなく、うるわしい大自然の幸に恵まれた日本人が、天地萬物への感謝をさりげなく表した謙譲語です。』

確かに!主語が無いことが重要であるということを、思い出させてくれるコトバが、生活の中にちりばめられているのですね。

古事記や日本書紀(併せて記紀と言う)には様々な神々が登場する。
しかし、そこには登場しないが、重要と見なされている神々もいる。

その代表例が祓の神とされる瀬織津姫である。
また、菊理姫などは日本書紀の一書(あるふみ、第十)に一度だけ、わずかに登場するのみである。
瀬織津姫は天照大神の荒御魂とされることもあり、菊理姫は全国の白山系神社で祀られているので、重要度は高いものの、何故か、共に実態が不明の謎多き女神とされている。

 既存の記事( <星の信仰-太陽信仰の本質> や <空海> など)では、太陽信仰に隠されたシリウス信仰があり、それは宇宙根源の天御中主神信仰でもあって、謎を解く重要な鍵として瀬織津姫と菊理姫が登場し、両神はほぼ同義であると見なした。

 しかしながら、瀬織津姫は神道の大祓詞に祓の一柱の神として登場するのみ、菊理姫は日本書紀の一書に一度登場するのみ、というように扱いが異なるのは、何か理由があるはずである。また、白山系のある神社の伝承では、菊理姫が祀られる以前は瀬織津姫が祀られていたといい、あたかも瀬織津姫を菊理姫で隠したが如くである。

 では、瀬織津姫、菊理姫とは本当はどういった神で、何を暗示しているのか?
スミルノフ物理学も交えて考察しよう。何と、そこには、シリウス系と太陽系の創成に関わる秘密と、天御中主神、天照大神、豊受大神の真意まで暗示されていた!

※PCは右クリックで保存
瀬織津姫と菊理姫

serpent.jpg


管理人コメント------

平成最後の天皇誕生日、2018年最後の満月の日時公開とした。
昨日は平成最後の冬至だ。

太陽はその輝きで命をはぐくみ、その命が生きるために必要なちいさな命たちを実らせる。
それを「豊穣の神」と呼んでみたりする。
一方で、太陽ほど主役級ではないが、その存在そのものが奇跡ともとらえられる、地球の周りを周遊する月は、「命のサイクル」を産みだしている。わたしたち人間も、潮の満ち引きにあわせ、感情をたかぶらせ、また、月のサイクルに合わせて子供を産む。
それがずっと繰り返されてきた。

「記紀に登場しないが重要視される神々」、というのもまた、その存在が無ければ、「平成」などなかったし、つまり12/23という今上天皇陛下の誕生日も迎えない。
これを書いているわたし自身も、ここにいなかったかもしれない。

来年には新たな元号になる。
役所のサインや年賀状でただ「平成」を「○○」と書くように変わるということではなく、
他国のように、クーデターや革命、戦争があって文化や元首が変わったわけでもないのに、
天皇が変わり元号が変えるだけで、「次の元号の時代という新たな船に国民一斉に乗り換える」くらいのレベルで、意識次元そのものが変わるという、特徴的なスキームを日本はもっている。国の名が変わるわけでも、言語、貨幣、憲法や法律、給料や住むところが変わるわけでもない。
神社の遷宮等と同じく、マンネリ、老朽、腐敗しかけた意識をクリアリングし「永続的に、繰り返し続けるため」するためのとても効率的、効果的な常若発想の仕組みだと感心する。

いのちは時代にくくられ、糸のように織られつづけていく。
わたしたち一人一人も、折り込まれた糸の一部であり、その功績や見られ方によっては、後世で脇役的でも「神」と呼ばれるかもしれないわけで。そんなことを思うと、太古の神々がとても身近で、自分たちと変わらない人々のように思えてくる。

<スミルノフ物理学>

宇宙、時間、空間、生命、、。
科学がこれだけ発展したにもかかわらず、まだまだ未解明の事象は多い。
それどころか、謎を解き明かすと見なされている現代物理学は高度な数学的手法に終始しており、専門家でない限り、理解不能なものとなっている。

宇宙に存在するわたし(和多志)たちが、宇宙を理解することができない?

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 では、何故に“日本のルーツ研究と弥栄へのシフト”で物理学なんぞを扱うのか?
 既存の記事では、様々な面から“神”について考察してきた。そもそもは、太陽系最外殻にあるシリウス系の惑星ニビルの住人アヌンナキが地球に降臨し、金採掘のために人類の祖の遺伝子を操作して人類を創成し、彼ら自身が“神々”として振る舞い、“神”という概念を人類に植え付けた。しかし、そこには彼ら自身が神殿で祀っていた“万物の創造主”も重ねられており、それが変遷して世界中の宗教となったのである。それ故、宇宙や生命の本質を知ることは、“神”の本質を知ることに他ならない。

 また、<空海>ではシリウス-太陽-地球の相互作用を改めて確認し、祈りがマグマのシリカを通じて地殻活動に作用したりすることなどを紹介した。

そして、これらを説明可能とする鍵がスミルノフ物理学である、と。

 では、その聞き慣れないスミルノフ物理学とはどのような物理学なのか?
それはニュートンの古典力学をベースとするものの、従来とは全く異なる見方により、宇宙の構造や物質の生成、生命体の発生と進化について説明可能であり、フリーエネルギーや常温核融合、放射性物質の無害化などについても言及可能な物理学である。

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 そして、なんと、神道や古事記の世界はスミルノフ物理学から導かれる宇宙の構造を暗示し、これまで何度も登場している籠神社と眞名井神社もまた、スミルノフ物理学から導かれる宇宙の仕組みを表していたのである!

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 物理学と言っても、ご安心あれ。筆者は物理の専門家ではないし、読者が限定されてしまっては意味が無いので、必要な数式は高校数学レベルの最小限のものにとどめ、定性的・概念的な説明を主とした。では、新しい概念の物理学の世界をご覧あれ!

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スミルノフ物理学



---管理人コメント---

本編には、文系出身の管理人でも、よく思い出せばわかりそうな数式がならぶ。
スミルノフ物理学とは、従来の教科書に載る現代物理学とは根本的に異なった新しい物理学理論体系である。

スミルノフ物理学派は、ロシアのアナトリー・パーブロビッチ・スミルノフ博士によって創立された。
物理学史上初めて正統派(?)現代物理学を無矛盾の体系で批判し尽くした物理学派である。

そして、ロシア人の物理学者達から故スミルノフ博士の最も正統なる理論継承者として承認されているのが、日本人である。
佐野千遥博士。

海外ニュースを日本語訳したらしいこちらが詳しい。いくつか引用する。
http://news4jp.hatenablog.com/entry/2016/04/26/120312

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(佐野千遥博士は)2015年10月に販売を開始し、同年11月にその設計図をネット上にて公開しているケシェ(ケッシュ)財団によるフリーエネルギー装置も、エネルギー保存則を超える限りにおいて「正統派」現代物理学では説明できない、と佐野教授は先ず前置きした上で、しかしケシェ(ケッシュ)氏のフリーエネルギー装置は或る程度有用ではあるが、大きな改良をせねば製品化には未だ程遠いと述べた 。
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↑確かに、誰もがほしがるフリーエネルギーにしては、ケッシュ財団の発表したものは世界中にムーブメントを起こしてはいない。

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現在、佐野教授は日本国内にて外部からのエネルギー入力がゼロなのに、永久磁石を全くの中学生でも分かる配置にしただけで、加速度的に轟轟と回る永久機関モーター を製作中であるが、同機関モーターは以前ロシアにて、佐野教授自身が設計し、理学実験に成功、ロシアでは特許申請はしていない技術であるという。
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↑構造が同じかわからないが、管理人も埼玉県某所で、
起動時だけ電圧をかけるが一度回転しだすと外部からのエネルギーゼロで加速度的に回転しつづけるモーターを見たことがある。ただしそれは「安定」せず、部品の耐久限界で壊れるまで回転速度を上げてしまう。
つまり制御装置を具備しなければならない。制御するのに外部エネルギーを必要としては元も子もないので、産み出したエネルギーのうちから一部を制御に回せるエネルギーへと転換できれば、コントローラブルなフリーエネルギーは完成する。

ちなみにそれを作ったのは農家さんだ。テネモス国際環境研究会の故飯島秀行氏。
家業の農家、土づくりから、微生物研究に没頭され、中南米の農業支援、その後微生物の培養土で福島第二原発の土壌重金属汚染の浄化などをされていた。

つまり、科学者でなくとも、中学3年までにならう数学と理科の内容で、気づけた人にはフリーエネルギーは作れてしまうのかもしれない。ではなぜ、これまで作れなかったのか。(すでにフリーエネルギー装置は世の中に多々存在しているらしいとは言われている)

ところで、そのモーターを見た時「これはマジックか?」と、そのトリックを知りたくなった自分がいた。

学校で習っていないこと。まだ無いはずのもの。アリエナイはずのもの。
このバイアスがかかっている我々は、「ありえない」はずのことが目の前でまさに「ありえ」ても、
ウソ、冗談と思い、種明かしを期待するのだ。

しかし、そこから現実を受けとめる方向へ意識を向け、
もしや・・これまで信じていたものが実は間違いなのかもしれない!
と悟った瞬間に、そのポイントだけでないあらゆる「常識」を疑い始めるパラダイムが脳内に急速に広がりはじめる。

上記記事に、これをお読みの皆さんにもそのパラダイムを起こす手助けができそうな部分があるので、もうちょっと引用したい。
※ただ、自動翻訳に頼ったような文脈なので読みづらいため、わたしが手直しした。

これをぜひ読んでから、本編PDFをクリックしてご覧いただきたい。

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スミルノフ物理学派は、宇宙は当初全宇宙の全質量が集中した1点から爆発して生じたとする「ビッグバング理論」を真っ向から批判する。
宇宙はその始原に於いて、大きな大きな巨大な光り輝く太陽であったが、その巨大太陽が次第に半径を縮めて行き、黄金比まで半径が縮む度毎に、その表面から星を崩れ落とす。そのまたその崩れ落ちた星も次第に半径を縮めて行き、黄金比まで半径が縮む度毎に、その表面から星を崩れ落とす。そのような繰り返しだ、としている。

当初宇宙半径が無限大に近い程巨大である事、その後半径が縮んで行く事、半径が黄金比に縮む度ごとに、その表面から星が発生する事を、上述したニュートンの動的作用反作用の法則F1×v1=-F2×v2 から、数式的にも導き出してある。
我々の太陽系においても、現在の太陽と海王星の中心を結んだ距離を半径とする巨大な太陽が当初存在し、その太陽が質量変化が無いまま、半径を徐々に縮小していき、黄金比の割合に縮小する度毎に、その表面から新たな惑星を生み出していった。

佐野教授は2011年11月に上記の黄金比モデルに則って、現在の太陽の半径が太陽の中心と金星を結ぶ距離の黄金比の黄金比に丁度なっているから、まもなく太陽表面から星が生まれる事を科学的に予言し、翌年2012年3月11日、NASAが「太陽表面から小球が発生!惑星はこのようにして生まれるのか!」と報じた。

月が地球の衛星としては大きすぎる事が従来から問題になっており、また前述のモデルによって水星の直後に太 陽から誕生したはずの惑星が、彗星・太陽間距離の黄金比半径の軌道上に現在存在していない事から、月とは水星のその内側黄金比半径の軌道上に誕生後、何らかの影響によって軌道を外れ、金星に接触し、金星の自転軸を横倒しにして自転速度を極度に遅くし、月は金星との接触によってその表面に平らな部分が出来、その後地球の引力に捉えられ現在のように地球の衛星と成ったとの仮説を取っている。
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徐々に収縮していく太陽からこぼれ落ちたかけらのひとつが、地球。
この言葉だけでも感動しないだろうか?

そしてこの説によれば、地球も太陽から生まれたので、数ある太陽信仰は、信仰というより「歴史」なのだ。

古事記も神話でなく「歴史」なのだ。

天之御中主が「始原に於いて、大きな大きな巨大な光り輝く太陽」となる。
「神の分け御霊」とか「和多志」など、「もとは一つであること」、として完全につじつまがあう。
また、日本語におけるヒカリ(光)、タイジ(胎児)、センゾ(先祖)、ニンゲン(人間)の言霊がすべて81と同じであることも、ことばは人類創世の謎を知っていたかのような合致だ。われわれは光輝く太陽からまさに生まれた。


本編PDFでは、神代の神の人数とフィボナッチ数列との相似なども書かれていて興味深い。

それでは、本編をどうぞ。
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スミルノフ物理学

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